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【復刻版】ジャパンC観戦記(東京:1995/11/26)

◆11月25日(土)
 ひまな土曜日。朝からウインドウズ95のインストールに取り組むが、うまくいかない。わけもわからず行列した人達は無事インストール出来たのだろうか。
 結局、ほぼ一日無駄にしてしまい、JCの検討に切り替える。月曜日からブック、ニッカン、夕刊フジで情報を収集し、テレビ東京の展望もじっくり見てみたが、結論が出ない。JCではこれまでたびたび世話になった山野浩一氏の見解を信じ、人気のないオセアニア勢を中心に、ロバーツが「日本の馬場に向く」との理由で連れてきたランド、日本馬ではタイキブリザードという結論だがそこから絞りきれない。

◆11月26日(日)
 朝8時にO氏を拾い、府中へ。体調不調などもあって、競馬場へ行くのは菊花賞以来になる。
午前中は例によって、観戦のみ。久々の来日のロバーツが人気薄のマルタカルドルフで昨日から早くも2勝目。この馬初勝利がロバーツ騎乗で、今日が2勝目。その間乗っていた騎手は何をしていたのかという感じだが、確かに巧い。1Rで降着になったムンロとはえらい違いだ。(今日で短期免許の切れるムンロの騎乗停止はどこで実効になるのだろう)
 昼休み明けの6R、ロバーツが勝つなら今度はナカタニに期待ということで、叩き3戦目のヒシムサシから買ってみるが、なんと4コーナーで競走中止。最近こればっかりだ。しかし、ダートで故障するかね・・・
 7Rは、3歳の特別戦、赤松賞。パドックへいってみると、おなじみのメンバーに遭遇。まず、日テレの女性アナを同伴している酒氏。一応仕事という事だが、怪しいものだ。そして、酒氏のバレー部時代の先輩であり、現在は社台スタリオンSに勤めるH氏、先日の南部杯でもお会いしたツナさんといった面々である。
 H氏は卒業後、西武百貨店に入社したものの、「俺の夢は世界一の馬を作ること」と言って、社台に転職したという人物で、先日もケンタッキーで馬を買ってきたとのこと。「一度みんなで飲み会をやろう」ということになり、有馬記念前日の23日に決められてしまった。魅力的なメンバーであるが、一応クリスマスウイークでもあり、ちょっと気になる。
 パドック終了後、ヒマなので、イベントが行われる広場へ行く。長岡一也、原良馬といった最悪の面々による「96競馬番組改革」をひやかす。例によってJRAの太鼓持ちみたいな事を言っていたが、3歳重賞新設の話で、原氏が「こういうレースで早めに賞金だけ稼いだ馬がクラシックに出て、あとからデビューした馬が除外されるのは困るので、出走馬選定方法を考えて欲しい」と、めずらしくセンスのある発言をしていたのには、驚いて、1万分の1くらい見直した。
 さて、ジャパンCのパドック。日本馬ばかり良くみえてしまう。こんな事は今までなかったことだ。ただ、ナリタブライアンは今回も切れそうな気がする。ヒシアマゾンは悪くないが、今さら買う訳にもいかず、中館が下手に乗ることを期待するしかない。結局、事前の検討で選んだ、デーンウイン、ストーニーベイ、タイキブリザードの3頭から総流しを敢行。お互いの組合せと、ランド、ヒシアマゾン、サンドピットへ少し厚めに買う。このうち、デーンウインについては、香港で年間5勝という成績のツェ騎手への乗り替りが不安であったが、インターナショナルジョッキーSで怪しげなフォームながら2着にきたので、信用することにした。
 レースは、軸にした3頭がいずれも先行して競り合う不安な展開で、結局岡部のタイキブリザードがスローに落として、先頭。オセアニア2頭は粗末な騎乗でなしくずしに脚を使い。3コーナーで終了した。それでもタイキは余裕がありそうで、これは行けるか思うが、ロバーツのランドが一気に先頭へ。「タイキ、タイキ」と声をかけるが、馬鹿の一つ覚えみたいに最後方から来たヒシアマゾンが2番手にあがり、ゴール。あっさり終了した。
 ランドにはそれなりに注目しており、とれない馬券ではないが、アマゾンにこられては仕方ない。この1、2着は騎手の差というべきで、中館を乗せている限り、超一流との2400mではこのくり返しではないだろうか。来年の海外再挑戦の際には、鞍上強化を検討して欲しい。タイキは最高の展開と騎乗での4着。力の差と言うしかない。ストーニーベイも力不足。デーンウインはやはりツェ騎手にかなり問題がありそうだ。伸びそうで伸びなかったナリタブライアンは、多少良くなっているので、有馬の取捨がまた難しいが、もはや並のGI馬を考えてよさそうだ。
 結局、今週も「×」となった。新宿のしゃぶしゃぶ食べ放題の店で、O氏ともども、「最近競馬がつまらなくなった」とぼやく。
 有馬記念もどうでもいい感じで、後はユーフォリアのウインターSくらいしか楽しみがなくなってしまった。

【復刻版】菊花賞残念日記(京都:1995/11/5)

 未明4時50分起床。ネコのトイレの掃除をすませてから、出発。まだあたりは暗い。無事O氏と合流し、6時13分発のひかり31号で、西下。「のぞみ」でなく「ひかり」にしたのは、食堂車で前祝いをしたかったからだが、1時間待たされる間に、頼んだ朝粥定食が他のテーブルに出されたあげく、品切れになり、和定食に変更させられる。早くも不吉な予感。
 9時半すぎには、競馬場へ到着。ダービーデー同様、馬券を購入する気分になれず、馬名入りTシャツなど購入して落ち着かない時間を過ごす。パドックには、酒氏も到着。こういうときは、少しでも仲間が増えるのがありがたい。プラス2キロの馬体は文句のない仕上げで、これでダメなら仕方ないという感じ。奥平師と横山典が何やらささやきあっている。作戦の相談か。ただそれほど固い感じはしない。
 関西GI独特のファンファーレ&手拍子。ドキドキするが、ダービーの時よりは楽しむ心の余裕がある。
 好スタートからサンデーウェルとともに前へ。決めて不足だけに、速い位のペースで前に行き、スタミナ勝負に持ち込むしかないと思っていたので、この乗り方は良かったと思っている。(後に記録をみるとスタートからのラップが、14.8-10.1-11.9となっている。10秒1というのは、1200mのGIでもなかなか記録されないもので、ちょっと不可解だが、これが京都名物の下り坂でのものかも。だとすると、これが後に響いたのかもしれない。とはいえ、1600mを1分38秒7というやや速めのペースは悪くない。)
 1周目スタンド前を先頭で通過。理想的な展開に、この時点では、サンデーウェルとの一騎打ちを確信したが、向こう正面で、マイネルブリッジが引っ掛かり気味に先頭を奪ったあたりから、行きっぷりが怪しくなる。無理に抑える場面でもなく、どうやらバテた気配。後はずるずる下がり、なんと15着大敗となった。最後は、バタバタで、他馬がゴールすると向こう正面まで流す中、早々に引き上げていて、故障してなければ良いが。
 サンデーウェルも大敗しており、展開が向かなかったと見る人もいるかもしれないが、勝ったマヤノは好位置から早めの競馬で押し切っており、力負けを認めざるを得ない。(田原は、「抑えて守りの競馬をして負けたら悔いが残るので、いつもより前で攻めの競馬をした」と語っていた。シグナルも攻めの競馬をしての力負けなので、悔いは残らない。)
 茫然として引き上げる帰りの車内で、牧場のAさん御一行に遭遇。朝6時に那須を出る新幹線で駆けつけたとのことで、さすがにショックは隠せないよう。
「最悪のレースとは今日みたいなことですね。」
 と吐き棄てるようにつぶやいていたので、馬名入りTシャツをプレゼントし、
「今年1年間いろいろ楽しませてもらいました。」
 とこちらが励まし役に。
「2歳も今イチだから、次は当歳のコーネリの仔ですね。」
 とのことで、シルバーピークの弟にあたる、ヘクタープロテクター産駒まで大きな期待はおあずけになりそうである。

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