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【復刻版】'94・香港国際競馬観戦ツアー(香港・マカオ:1994/12/9-12)

◆12月9日(金)
 とうとう我々の遠征も海外をめざすことになった。その記念すべき第一歩は、国際レースの行われる、香港シャティン競馬場。トラベルホスト社の観戦ツアーの一員となって、日本航空731便にて、成田を出発した。
 渡されたメムバー表によると、一行は添乗員氏2名を含む33名。日本軽種馬登録協会の一行10名や、JRA、社台ファームからも参加しており、平凡なサラリーマンの我々は明らかに浮いている。また、つまらない評論でおなじみの橋本邦治氏も家族で参加されていた。なお、メムバー表には、競馬観戦当日の班分けがA/Bと記されており、ただしたところ、
「単にバスが2台になるだけです。」
 との説明。しかし、これが後に大きな問題になるのであった。
 世界一難しい空港といわれる啓徳空港への着陸は想像以上に恐い。大阪空港なんかの比ではなく、民家スレスレを一気に降りる。まずは無事に着陸できてほっとする。
 バスで、市内観光をしながらホテルへ。怪しげな現地のガイドさんがいろいろと教えてくれる。競馬もかなり好きなようだが、中国返還後に対しては、ひどく悲観的で、
「競馬もできなくなるから、今のうちに楽しんで下さい。」
 などとも言う。
 途中、免税店によるが、軽種馬登録協会のひとりが、迷子になって、約束の時間に戻らず。しばらくして、戻ってきたが、悪びれるでもなく、誰にも声もかけない。どうして、このテの団体には、こういう非常識な人が多いのか。だいたい、何を視察に来てるのだろう。
 九龍半島の南端にあるなかなか立派なオムニホンコンホテルへチェックイン、スターフェリーで香港島へ渡る。地下鉄もあるが、このフェリーからの夜景は素晴らしい。わずか10分の船旅だがなかなか楽しめる。
 夜は、うし様おすすめの店へ。食べ役の氏は、今回も念入りにチェックしてあったようだが、この日の店は、日本人が多く、値段も高めで、どうということはなかった。

◆12月10日(土)
 今日はマカオへ行く。上環のフェリーターミナルから、ジェットフォイルで1時間ほど。1等でも160香港ドル(約2200円)だからお手軽だ。とはいえ、もちろんパスポートが必要だし、入国カードも記入する。
 マカオについて、まずは競馬場へ向かいたいが、タクシーの運転手氏に英語が通じない。「ホースレースコース」と言っても通じなかったので、競馬新聞を見せると、
「オー、ジョッキークラブ」
 と言って、走り出した。
 タイパブリッジを渡り、競馬場へはすぐに到着したが、まだ午前中でもあり、開催が始まっていない。もう一度引き返して、まずはカジノへ。お目当てのブラックジャックは、最低賭け金が、50香港ドル(700円)と、零細ギャンブラーの我々には厳しいが、うまく勝ち逃げして、5000円ほど儲けた。氏はその後も3時間くらい堪能していたが、やはり少し勝ったようだ。ブラックジャックは、大儲けもしないが、適当に遊ぶには悪くない。
 その後、競馬場へ行く。馬のレベルはあまり高くないようだが、施設は立派で日本と変りない。ここでも少し儲けて、明日の資金ができた。
 夜、テレビの競馬番組をハシゴして、前夜検討。日本と同じような番組で、参考レースやら調教VTRやらを流している。ジャパンCから中1週のフジヤマケンザン(香港名「富士山」)は、軽めのキャンターだったので、地元の解説者にバカにされていた。

◆12月11日(日)
 いよいよ国際レース観戦の日。バスで30分ほどかけてシャティン競馬場へ。ここも府中や中山に優るとも劣らない立派なスタンド。ところが、ここで懸念されていたツアーの班分け疑惑が発覚してしまう。途中、冷房の効いたすばらしい席を通ったが、結局我々の席は普通の指定席エリアの一角。けっして悪い席ではないが、パンフレットにうたっていたのとはずいぶん違う。国際レースだし、まあ仕方ないと思っていたが、どうももう一つの班は、ガラス張りの冷房の効いた部屋(中山のA指定のような席)に入っているらしい。しかもそちたの班には、橋本氏や、登録協会の面々が行っているのだから、これは恣意的な班分けが行われたとしか考えられない。一同憤慨するが、今日のところは競馬に専念して、帰りに空港で問い詰めようということで意見が一致する。
 国際レースは3鞍。中でも、「国際瓶」に出走するエイシンテネシーが私の狙い。実績面で全く評価されていないが、2400mはピッタリだし、無理のないローテーションからもチャンスはあると判断。人気もないし、大きく勝負にでるが、惜しくも4着。けっして騎乗ミスがあった訳ではないが、世界中の名手が集まっているなか、増井騎手というのも少し辛かった。ちなみに香港名は、「栄進田州」。
 その後、「黄金山嶽」(ゴールドマウンテン)が8着、富士山も4着に敗れ、ハクチカラ以来の日本馬の海外Vはおあずけになった。
 なお、この日の中山の準メイン「市川S」に愛馬ユーフォリアが出走、たんぱで海の向こうの実況を聞くことができた。全くの人気薄だったが、直線で抜け出し快勝。馬連1000倍の夢馬券になったようだ。こちらに来ていなければ、必ず買っていたのに、と思うとちょっと悔しい。
 最後の夜は、うし様と、街へ繰り出す。「女人街」「男人街」は、いかがわしい名前だが、縁日が続く繁華街で、安いおみやげ屋がずらり並ぶ。ついつい怪しげないらないものをいっぱい買ってしまい、「安い香港」を堪能する。

◆12月12日(月)
 最後の日の朝は、ホテルの朝食バイキング(これも大変美味しかった)をキャンセルして、飲茶を楽しむ。一応第二外国語が中国語だったうし様が、あやしげな漢字を紙に書くが、ワゴンを押しながら巡回するおばちゃんは首をかしげるばかり。しまいには、みんなで集まってきて、あ~でもない、こ~でもない、とやっているが、結局氏のお望みのごまだんごには、ありつけなかった。とはいえ、あれこれたのんで、楽しい朝食を満喫した。
 その後、午前中は、独自行動とし、氏と別れ、「高い香港」もしくは「普通の香港」で買い物。金鐘のパシフィックプレイスで、おみやげを買う。このテの場所に来ると、やはり日本人の女性がめだっている。
 ホテルに戻り、いよいよ帰途へ。空港へ向かうバスの中では、昨日の班分けについての情報交換でもちきりで、早くも不穏な空気が。そして、最後に搭乗待ち合い室で爆発した。添乗員氏に詰め寄っているのは、我々の他、元JRAの豪快なおばさん(この人の口癖は、「昔グラマー、今プログラマー」)、社台ファームで馬に乗っている女性など。要は、「なぜ無断で班分けをして、それを隠そうとしたのか」に尽きる。添乗員氏は、向こうの席は4コーナー寄りで、冷房は効いているが、レースは見にくい、などと言い訳するが、それなら最初にそう説明して、どちらをとるか選ばせるべきたった訳で、説明にならない。だんだん他のメムバーも事情が分かってきて、完全につるし上げ状態になってきた。結局、帰国後までモメて、最後は、我々のグループには5000円の返金となったのだから、ゴネてみるものだ。
 何やら妙な幕切れとなったが、初めての海外競馬遠征は、とても楽しく、大成功であった。次は、ケンタッキーでもめざしたいものだ。

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