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【復刻版】セントライト記念&サラC1観戦記(中山&大井:1995/9/24)

 タヤスツヨシの思わぬ敗退で、俄然混戦模様の菊花賞戦線、シグナルライトも、無事にセントライト記念に駒をすすめてきた。11時にO氏を拾い、船橋法典駅前の焼肉「安楽亭」で前祝いを済まし、13時すぎに競馬場へ到着。
 10Rをパスして、パドックへ。テキが妙に固い。いつものように冗談をいうでもなく、話かけづらい雰囲気。下馬評は悪いが、期するものがあるようだ。太めが伝えられた馬体も-10キロで、初めて500キロを切ってきた。あまり期待していなかったが、ひょっとすると、という気にはなってきた。単勝1000円と、軽く総流し。
 レースは、予想通り、スローペース、横山典の好判断で、4~5番手と早めの競馬。3コーナーでさらに上がっていき、4コーナーでは、先頭のサンデーウェルに並びかける。ユーフォリアの前走みたいな感じで、あとは前をかわすだけで、後ろからは何もこない。これはもらった!
「それ!」
「行け、行け!」
(バン、バンと机を叩く音)
 ここで、コップの水をひっくり返し、ズボンがずぶ濡れに、幸いコップは割れずに床にころがったが、気をとられているうちに、内のサンデーが差し返して1馬身のリード。
「行け、行け!」
気を取りなおして、あらためて机を叩くが、1/2身差の2着。3着以下は3馬身差で、菊の権利も確保したし、まずはめでたいが、絶好の勝ちパターンを逃した感も否めない。青葉賞に続いて、またしてもサンデーサイレンス産駒が立ちふさがった。
 勝ったサンデーウェルの森師に会ってくるという敵だか味方だかよくわからない酒氏は見捨てて、帰宅の途に。決め手不足を淀の3000mでカバーできるかどうかはわからないが、大目標に向けて、秋の競馬も忙しくなりそうな気配である。

19950924

さて、この帰り道、思わぬ方向へ車は向かっていくことに・・・

 中山の帰りは、湾岸道路。環状線の渋滞を避け、大井で降りるのもいつも通り。しかし・・・
「どうします?」
「あんたが、どうしてもっていうなら?」
「そっちこそ、どうしてもっていうなら」
「じゃあ、かるく行きますか」
 車は、品川方面へ向かわず、そのまま直進。3分後には、ナイター照明が輝く大井競馬場へ到着した。長い競馬歴でも、史上初のダブルヘッダーへと
突入である。
 土、日は客が入らないという不思議な競馬場だけあって、指定席が余っていた。4コーナー寄りに席を確保し、検討開始。まだ6レースに間に合う。
「うーん」
「あいかわらず、検討できないね」
7レースのサラC1(6、7組)から参戦。外回りということで、追い込みのカネヨシセンプーにかけるが、例によって3着止まり。これは!という手応えの馬が必ず最後に止まってしまう。ただし、押え馬券が的中。
 8レースもサラC1(6、7組)戦。森下騎乗のキクノリズムから狙うがこれも3着止まり。
 そろそろ特別かなと9レースを見ると、「サラ4歳特選(341.5万~380.0万・4組)」とある。なんだか疲れてきた。
「どうします?」
「帰りますか」
 長年遠征を共にしているだけあって、このへんの呼吸は絶妙である。結局、メインのブルーライト賞を待たずに、退場となり、観戦記のタイトルも間抜
けなものになった。初のダブルヘッダーだが、やっぱり「疲れるだけ」というのが正直な感想である。

【復刻版】初風S観戦記&PAT奮戦記(中山ほか:1995/9/16-17)

 3連休2日目の土曜日。前日は、久々に休日出勤したため、昼前までゆっくり寝坊してから、単身中山へ向かう。相棒のO氏が急遽仕事に出るはめになったので、普段ならテレビ観戦に切り替えるところだが、愛馬ユーフォリアが久々に勝機とあっては、やむを得ない。
 昼すぎに家を出ても、7Rには間に合ってしまったが、明日のオールカマー観戦も控えているため、馬券は自重。ロイヤルシートで、一人でコーヒーなど飲んでみるが、ひまを持てあます。
 雨の中、パドックへ。中6週空けて、馬体回復したはずのユーフォリアはマイナス2キロで430キロ。理想は440キロ前後だから、まだ回復途上のようだ。ふっくらというよりは、すっきりという感じだが、気配は悪くない、当面のライバルのスピードアイリス、ユキノサンシャインに調子落ちの感があり、自信を深める。大川大先生の◎にもかかわらず、単勝5.8倍は悪くないオッズ。
レースは、好スタートから、積極的に前へ。得意の中山1800での勝ちパターンに持ち込む。抜群の手応えで3角で先頭をうかがうと、後続の人気馬は追走にいっぱいで、勝負あり。直線話す一方で、なんと7馬身差の圧勝。馬券をコピーし、早々に引き上げることとする。
 孝行娘が、15万近い賞金を稼いだうえ、馬券でも2万円以上も儲けさせてもらい、笑いがとまらない。帰りにいろいろ買い物しようかと思ったが、台風の接近で風雨とも強くなり、今日のところは帰宅することにした。
 これで、再びオープン入りで、相手も強くなるが、調子が上向きなのは何よりで、結局この夏も休養せずに、勝手に復調してしまった。休養させない谷原師を怨んだ時期もあったが、結果オーライということか。次走は南部杯にも登録しているが、中央側補欠2位で出走は微妙。ニセイといっしょに走れるだけでも光栄だが。
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 戦後最大級との呼び声高い台風12号の接近で、日曜日は、未明から風雨が強まり、なんと開催中止。オールカマーは月曜に順延となった。
 さて、すっかりひまになった日曜日。久々にPATに参戦してみる。函館と京都を中心に1万円ほど投入した。
 函館6Rは、ハイランドのグリーンライフが登場。昇級2戦の内容が悪くないし、最近好調の牧場の勢いにかけるが、結果は着外で、まず●。
 続く、アラブ最後の重賞タマツバキ記念。買った馬が抜群の手応えで上がってきた時に、勘違いして、
「ああ、おまえはいらない、来るな」
などと叫ぶ失態を演じたうえ、せっかくその馬が勝ったにもかかわらず相手を間違えて、また●。
 函館のメインも千二で出遅れては論外で、●。
 そして、神戸新聞杯。無難に軸に選んだタヤスツヨシが、冴えない手応え。ちぐはぐな乗りかたで、強引にまくってきたが、一杯になり万事休す。ところが、応援の単複を買っていた笠松のベッスルキングが凄い脚で追い込んできた。
「行け、アンドウ!」
 思わず熱くなったが、3着まで。それでも菊の権利をとったのは喜ばしい。ライデン、タイユウ、トミシノに続き今年4頭目のGI出走が実現、笠松での成績は、勝ったり負けたりだが、トウショウボーイの肌にトニービンという配合で、明らかに芝がいいようだ。拍手拍手。
 結局、この複勝だけが的中し、回収率は41%。今年ここまでのPATでの回収率は、なんと13%とひどい。当初10万円で開設した口座もめったに使わないのに、残金は2万円を切って、風前の灯火である。

【復刻版】京王杯AH観戦記(中山:1995/9/10)

 秋競馬開幕を告げる京王杯AH。本来なら「待ちに待った」と形容されるわけだが、この夏は、遠征しすぎたこともあって、あまりわくわくしない。
 しかしながら、今回の観戦記には、新たな登場人物が加わることになった。
 11時集合の品川駅に登場したのは、会社の後輩であるところのY子嬢、めずらしく女性が参戦である。一応妙齢の女性であるが、小市民的な私と違い、馬券の買い方も豪快で、なかなかの勝負師と聞いている。どんなことになるか、楽しみである。
 昼休みに到着し、昼食。私が、おなじみの手巻きセットを注文すると、Y子嬢も同じものを頼むが、量が少なく不満げである。食べ役O氏の代役も務めてくれそうで、頼もしい。
 新馬戦のパドックで、飲み役の酒氏と久々の再会。夏遠征にまったく姿を見せなかったので、3ケ月ぶりくらいになる。お茶を飲みながら、(飲み役の酒氏はもちろんビール)秋の牧場見学について相談する。
 勝負師Y子嬢の本領がいかんなく発揮されたのは、9Rの富里特別。牝馬限定の500万下ということで、荒れる予感はしていたが、5~6番人気のライズライズの単勝を3000円も的中!先行有利の中山2000を最後方から一気に差しきったのだから強い。ゴール前はさすがに声援にも力が入っていた。ちなみに私が買った馬は、直線で競走中止。(;;)明暗くっきり分かれ、大勝利のY子嬢からモスバーガーをごちそうになる。情けなや。
 このままでは、引き下がれないところだが、苦手の中山でもあり、勝負レースがみつからない。やむなく、函館のUHB杯勝負に切り替え、固く収まりそうな京王杯をパス。たいして根拠はないが、名前がおもしろいボジーから勝負する。無理にひねりだした感が否めなかったが、直線追い出しを我慢した北沢の好判断もあって、見事に優勝。2着に相手本線のアラタマワンダーが入って、会心の勝利。
 さて、いよいよメインの京王杯、Y子嬢は、9Rの儲けをすべて投入したらしいが、馬券を教えてくれない。レースは、逃げたオノデンリンゴが故障発生し、押し出されるように先頭にたったヒシアケボノに、ジェニュインが内から迫り、デッドヒート、そこへ外からドージマムテキが突っ込んできて、漁夫の利をさらった。ジェニュイン2着死守。アケボノ3着、バレリーナが4着。
 Y子嬢の顔色が冴えない。茫然とした表情で、小銭を数えている。容姿端麗なY子嬢であるが、先程9R後の余裕の笑顔とは、別人のような表情で、ショックは隠し切れないようだ。聞けば、小銭以外の全財産を投入したとのこと。評判通りの勝負師ぶりで、ヒシアケボノーアイオーユーに4万円投入したと聞いて、さらに驚いた。
 京都の朝日CCでは、マイシンザンが復活。ミホシンザン好きの酒氏がこの単勝を的中。今日のところは先輩小市民馬券師が意地を見せた。
 破産したY子嬢だが、ギャロップ誌流にいえば、「ポジー号のおかげ」で、お食事に参加できることになり、食べ役を任せることにする。学生時代に出入りしたという渋谷に着き、お目当てのマレーシア料理店を探すが、これが消滅。次に、メキシコ料理店に着けば、これが貸し切り。ふんだりけったりのY子嬢に代わり、飲み役の酒氏が、飲み屋を発見して、ようやく落ち着き、例によって、マニアックな話となる。酒氏とは初対面のY子嬢だが、氏のごひいきの種牡馬であるマークオブディスティンクション号を知っていたということで、高く評価されたようである。イノセントワールドは知らなくても、マークオブは知っているという妙齢の独身女性を高く評価するのが正しいのかどうか、私にはわからない。とにかく、本人は、来週のオールカマーでの雪辱を誓っていたが、果たして・・・

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