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【復刻版】ダイオライト記念観戦記(船橋:1996/3/20)

 悪夢の日経賞からまだ3日しかたっていないが、交流レースと聞けばじっとしていられない。前夜になって、相棒のO氏が仕事でいかれなくなったため(このところ氏は休日出勤ばかりしている。ワーカホリックのなったようで、誠に遺憾だ。)、一人で船橋へ向かうことにする。
 船橋競馬場周辺は、「ザウス」、「ららぽーと」、そしてオートレース場と、大人から子供まで遊べるエリア。中山競馬場も近い。昼過ぎに家を出ると、かなり渋滞しており、2時すぎに到着した。
 8Rの千葉特別から参戦。ロバーツ、横山典、宇都宮の内田利の3騎手が騎乗している。特にロバーツに声援が飛ぶ。本命の横山典を押さえて、穴っぽく買うが、やはり典が2着に残り、当たり損のスタート。そこそこ人気の馬で離れたシンガリに敗れたロバーツには、一転して罵声が飛んでいた。来日以来、これで31連敗となる。
 9Rをパスして、パドックへ。すでにかなり込み合っていて、カメラを持った若いファンも多い。スピードアイリス、レガシーワールドの森厩舎勢は、ともに2桁の馬体減。レガシーは完全に終わっているし、スピードアイリスも元々愛馬ユーフォリアと互角程度の実力で、牝馬の馬体減では買えない。注目のブライアンズロマンは、力馬タイプには見えないが、やはりあか抜けた好馬体。なんとか、冬毛の目立つホクトベガに一矢報いることはできないだろうか。その他では、石崎で勝負のヤマノセイコーが気になったが、さすがに買えない。
 1回目の単勝オッズ発表は、ホクトベガが1.0倍、ブライアンズロマンは13倍。迷わず、ブライアンズロマンで勝負。初遠征、初の左回りと不安もあり、なによりホクトベガとの能力比較が問題だが、ライブリマウント、ホクトベガとの勝負付けが済んでない数少ない大物であり、応援せざるを得ない。単勝を5000円、ホクトベガとの4-8(1番人気)を保険として5000円購入し、発走を待つ。
 例によって、かなり遅れての締め切り。場内は大盛況で、馬券を売りたいのは分かるが、時間通り締め切るくせをつけていないと、キリがない。実際、大井ではかなり改善されている。
 いよいよ、スタート。スペクタクルが逃げ、レガシーワールドが競りかける展開。ホクトベガも早めに絶好の3番手。ブライアンズロマンもスタートで安めながら、無理せず4番手とまずまず。すでにここまでの馬の競馬になった感。
 2周目の向正面で、早くもホクトベガがまくりに入り、場内が沸く。レガシーは早々に脱落するが、スペクタクルは踏ん張り、ホクトベガもまくり切れず、併走。早仕掛けに見えただけに、3番手浮上のブライアンズロマンにもチャンスかと思われたが、そのまま2頭の競馬になり、最後は、ホクトベガの貫禄勝ち。よく粘ったスペクタクル2着、ブライアンズロマン3着。馬券的には完敗となった。ちょうど、ライブリマウントとトウケイニセイの間にヨシノキングが入り込んだ昨年の南部杯のようなレースだった。
 これで川崎記念~フェブラリーS~ダイオライト記念とV3のホクトベガ。状態も一息にみえたし、距離2400も気になり、負けるとしたらこのレースかと思ったが、やはり強すぎた。このままだと、今年の交流レースはいくつとられるかわからない。来年は8歳となるが、ドバイを目標にして欲しいものだ。西の名古屋大賞典でも、期待のマルブツセカイオー、ライフアサヒの2枚看板が、JRAとしては、2番手グループのキョウトシチーにひねられており、地方側もいよいよ持ち駒不足になってきた。残る期待は、阪神大賞典3着のルイボスゴールド、北海道の老雄ササノコバン、九州のキングオブザロードといったあたりになろうか。もっとも、ブライアンズロマンもまずまずのレースをしており、また挑戦してきて欲しいものだ。

【復刻版】日経賞観戦記~さようならシグナルライト~(中山:1996/3/17)

 今回は、酒氏、O氏、Y子嬢と競馬仲間が勢揃いする予定であったが、O氏は連絡がとれず不参加となった。仕事が忙しく休日出勤の連続の氏だが、土曜の晩に電話も通じなかったのは、初めてで、勝負レースに氏が欠席するのは、極めて異例のことといわざるを得ない。
 5Rの4歳新馬戦。牧原騎手のアラビアンナイトが逃げ切りで、待望の初勝利。直線に入ってから、場内がざわつきだし、やがて暖かい拍手にかわった。2着の横山典の追い方が少し手加減しているように見えなくもなかったが、まずはめでたい。
 3人で、松屋サロンにてちょっとぜいたくな昼食。美浦で取材してきたという酒氏によれば、初コンビの柴田善も楽しみにしているとのこと。どんな乗り方をしてくれるだろうか。雨はますます激しくなってきた。
 10Rの若葉Sのパドックへ。この時、先日の600倍馬券の時同様、縁起をかついで、馬頭観音にお参りをしようかと思ったが、なんとなくやめにした。レースは、ロイヤルタッチがよもやの敗退。ロバーツを降ろしたあたりからケチがついていたということか。
 いよいよメイン日経賞のパドック。先に到着していた酒氏が、
「しんちゃん、勝ったよ。」
 と言う。若葉Sのミナモトマリノスの馬券をとったのかと思えば、そうではなく、シグナルのデキが絶好だという。調子がいいのは、いつものことなので、こちらはそれほどピンとこなかったが、いつの間にか、勝利のシーンがちらつきだしていた。
 先週の大敗でお金がなかったので、大勝負こそしなかったが、レース前には、かなり自信がでてきたいた。そして、スタート。
 ひっかかることもなく、うまく折り合い、1周目の直線へ、そして、
「あれ」
「ああ」
「故障だ」
「ああ、ああ」
「・・・・・」
レースが淡々と行われているのが、不思議な気がした。そのあたりからは、よく覚えていない。
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銀座の寿司屋で残念会。ここ「清寿司」は、青葉賞2着の翌日、酒氏とダービーの取材の打ち合わせをした思い出の場所である。あれから11ケ月。多くの夢と楽しみを与えてくれたシグナルライトは帰らぬ馬となってしまった。
 日本酒を飲みながら、例によって馬談義。ライスの事故からまだ1年もたっていないY子嬢も意気消沈していている。酒氏も努めて明るくふるまってくれたが、私が席をはずした際には、涙を見せていた、とY子嬢が後でこっそり教えてくれた。優しい酒氏の人柄がよくあらわれているエピソードである。
 思えば、青葉賞からダービーまで、あるいはセントライト記念から菊花賞まで、毎日考えていたのは、シグナルが無事か、ということであった。夕刊紙を買っては、順調なことを確認してホッとする毎日であった。ダービーも菊花賞も、もちろん勝ちたいけれど、無事に出走すること、無事に回ってくることが一番の願いだった。その大変さは、長い競馬歴のなかで、わかっているつもりだった。
 しかし、丈夫なシグナルが重賞の常連となり、惜敗を続けていくうちに、そうした謙虚な気持ちが少しずつ薄れていったのは、たしかだった。競馬をやっている限り、こんなことは、これからもあるかもしれないし、だから競馬をやめるなんていう気持ちはまったくないけれど、やっぱり考えさせられることも少なくなかった。
 しばらく寂しくなるけれど、これから当歳っ仔の誕生も相次ぐ時期でもある。そして、シグナルの同期生、”幻のダービー馬”シルバーピークも復帰してくるようだ。こういう時こそがんばってもらわねば。
 
 さようならシグナルライト。夢をありがとう。やすらかに。

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