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【復刻版】フェブラリーS観戦記(東京:1997/2/16)

 8時30分、雨の中O氏が愛車のグロリアでお迎え。GI昇格のフェブラリーSということで、少し早めの出発だ。車内では、O氏が最近のお気に入りというCDを聞く。「FAVORITE BLUE」とかいうアーティストで、avexトラック。小室ではないが、似たような感じで、なかなかよい。
 いったん競馬場に着くが、例によってヒマになり、府中の街へ。ロイヤルホストで朝食後、駅ビルでお買い物というお決まりのパターン。さっそく件のCDを購入しようとするが、なんと売り切れ。
 それでも10時半には競馬場に戻り、5Rから参戦。今日は、5特別をはじめ番組が充実している。すべての特別が1400~1600でコーナー2回の厳しい競馬というのも私の性に合う。オープンクラスならともかく、条件戦の長距離戦は、スローペースでゆるくてつまらない競馬になりやすい、というのが持論である。
 5Rをはずして、昼休みになり、新スタンド地下で行われる鑑定大会をひやかす。おなじみの中島誠之助、北原照久氏が鑑定士として登場。3人の依頼人が登場して、お宝を鑑定してもらうという趣向。

19970216

 まず、最初に北原さんが持参の馬のおもちゃを披露するが、顔の流星が大きいのを見て、アシスタントの米倉いづみ嬢が、
「ノーザンテースト系ですねぇ」
 と妙な突っ込みを入れ、少し間をおいて、場内爆笑。北原氏はキョトンとしている。
 2人目の依頼人に、田中和夫調教師夫人が登場。代々つたわっている壺ということで、本人評価額100万円だったが、あっさり20万円。古い中国の骨壺ということで、
「では、主人が死んだらこの壺に入れます。」
 また、場内爆笑。
 3人目は、なんと東京競馬場場長。これも自信の掛軸だったが、6万5千円という低い評価。しまいもせずに退場したのがおかしかった。なんだかわからないが、妙に楽しめた企画であった。
 再び真剣勝負再開。7R、8Rと安田富から狙うが、まったく見どころなし。4Rでも本命で負けており、乗れてない。まあ、狙う私も悪いが。
 京都8Rで、愛馬スキャナが出走。2番人気。グリーンチャンネルの前に陣取る。なかなか忙しい。圧倒的1番人気の馬をマークして、3角からまくり、直線じわじわ差を詰め、あと50mで交わす。勝った!と思った瞬間、あと20mくらいで、後ろから別の馬に差され、2着。あまりに力んだためか、周囲の人も注目したようで、おもわずしゃがみこむと失笑が漏れた。
 見送った9Rは、ショウナンナンバーがダート1600を1.36.4の好時計。これならフェブラリーSはレコードが出るかと思ったが、結局1.36.0だったので、この馬の強さが逆に目立つ。来年のダート戦線の有力候補だろう。
 起死回生を狙った10Rのウェディングベリーが惜しくも3着。すでに大幅なマイナス。まったく自信のない小倉にも手を出して、さらに傷口を広げる。
 フェブラリーSは、別路線組ではなく、5歳のダート路線組から買うことは決めていたが、その先が絞れない。枠連なら4、5、6の組み合わせでよさそうだが、ここまでの負けを挽回する必要もあって、トーヨーシアトルから入ってしまい、これが全くついていけない。時計の出る東京ダートの1600には対応できないようで、大敗。ストーンステッパーが快勝かと思いきや、内からシンコウインディにすくわれる。このあたり騎手の差が。シンコウウインディは、どちらかというと小回りの中山の1800あたりがベストかと思っていたが、そうでもないようだ。それにしても、あらためてスーパーダートダービー(大井のサンライフテイオーが勝って、シンコウウインディ2着、イシノサンデー3着)の結果が不思議になってくる。
 記録的大敗で、競馬場を後にして、品川プリンスへ。久々に卓球の決戦である。何しろ、卓球をするには、ここにくるしかないのだ。他にどこかないのだろうか。なんと1時間待ちであった。時代は卓球に向かっているようだ。いったん隣のホテルパシフィックで敗者にはぜいたくすぎる夕食をとり、ウイング高輪の新星堂でようやくCDをゲットしてから、勝負開始。前回は、楽勝だったが、今日は接戦となり、3セットマッチ2回戦で、2-1、2-1でなんとか連勝記録を伸ばした。それにしても、ハードに遊んだ1日であった。お疲れ、お疲れ。


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