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【復刻版】新潟競馬JRA馬交流シリーズ観戦記(新潟:1997/5/3-4)

◆5/3(祝)

 急きょ新潟競馬に参戦することになった。今年は、中央・地方交流の新しい企画として、開催中のJRAが1週間隔を開けて、地方主催の交流シリーズとして、行われるのだ。O氏の体調不調で参戦を断念しかけたが、久々にT氏とのコンビで参戦できることになった。T氏とは一昨年の中京以来の遠征になる。
 連休初日でもあり、上野発の臨時あさひ503号しかとれず、席もバラバラ。汚い車両で後ろ向きの3人座席とあっては、寝るしかない。昼過ぎに到着すると、もう競馬場行きのバスはなく、白新線で豊栄駅まで出てタクシー。
 場内は、アイビススタンドがJRA場外、旧スタンドが新潟県競馬に分かれていて、どちらも余裕がある。席を確保すると、まずはオリベッティを取り出し、愛馬スキャナが出走する京都8Rを購入。続いて、新潟7RのJRA交流ゴールデンシリーズ第3戦を購入。このレース、名前で勝ったチョビ(中央)が逃げ残り、17倍の好配当を2人そろってゲット。実に幸先がよい。ちなみに、中央は4歳未勝利、地元は4歳A2~B選抜。頭数もJRAが多く、一部の期待馬をのぞいては、JRA組優勢。

19970503

 スキャナ大敗の後、京都の特別2Rと青葉賞にもPATで参戦するが、これがいけない。目の前の新潟で儲けた分を吐き出してしまう。特別の時間帯になると、オーロラビジョンも、県競馬とJRA実況を交互に繰り返し、実にいそがしい。
 中央が一段落した後の新潟10RはJRA交流万代特別。こちらは、中央500万下対地元A2~B選抜。ここで調教欄を凝視していたT氏が、ストーンステッパーに先着しているヒサコーボンバーを発見、実績的には買い辛いが、休み明けこそ妙味とみて相乗りし、快勝。新潟は大幅プラスで、トータルは若干のマイナス。まだ2R残しているが、明日もあるので、今日はこれで引き上げることに。

 今夜の宿は、三川温泉。磐越西線会津若松行き快速「あがの4号」で45分。「鄙びた」とまではいかないがかなり地味なところ。「一番高い部屋しかないのですが」と言われて、一人1万5000円。夕食には、おなじみの固形燃料が登場したが、ありきたりの鍋ではなく、地元のねぎやきのこを味噌とあえて食べるもので、工夫のあとを評価。温泉も内湯の他に、屋上に小さいながらも展望露天風呂あり。巨人も日本ハムも、そしてT氏がひいきの阪神も勝って、スポーツニュースをはしごして、就寝。

◆5/4(日)

 7時起床。あわただしく朝風呂、朝食。8時39分発の磐越西線で新潟へ戻る。駅まで主人が送ってくれたが、「TCKは買い辛い」とおもわぬところで意見が一致した。

19970504

 11時前に競馬場に到着。指定席エリアはすべて開放されているようなので、今日はJRAサイドのアイビススタンドに陣取ることにする。中山より快適で、オリベッテイを置いても机の上は余裕がある。
 JRAエリアなので、場内は東京の実況。すでに2Rが行われているようだが、無視して、1Rアラ系一般Bの検討。まだ、交流レースは始まらない。ムーミンママから買うも最後一杯で3着。昨日のようにはいかない。
 一転して、東京4Rの未勝利戦に参戦するが、マークシートが拒否されてしまう。なんと、JRA東京分は、特別以外は単複のみの販売という。500円単位とかならまだしも、単複のみとはどういうことか、実際に、場内では実況も払い戻しもターフトッピクスも流れていて、何ら環境は場外と同じなのに、である。公営への配慮だとすれば、最初から発売しなければいいのに。よくわからない。総流しを単複に切り換えるが、ハズレ。

 流れを変えるべく、昼食をとることに。JRAエリアだと「イタリア軒」のカレーが食べられる。あいかわらず美味。しかし、馬券の方は新潟5Rのゴールデンシリーズ第5戦で狙ったデンゲキが3着と、片目も開かない。
 一転して、PATで京都へ参戦することにする。このあたりから、めまぐるしくなって、実にあわただしい。しかも目の前で新潟のレースが行われている時に、場内には東京の本馬場入場曲が流れたり、ケンタッキーダービーの実況が流れたりする。周囲の客も、JRAを中心にしつつ、両方買っているようで、大変だ。いつかやってみたいとは思っていたが、実に疲れる。

 京都9Rのタヤスレインボー快勝で、昨日からの負けを取り戻すが、ハナノメガミで勝負に出た東京11RスイートピーSが大敗。すでに疲労困憊気味だが、新潟11RJRA交流妙高特別で本命のタイトルロウルからユウキアラシオーへの7-8で勝負。前夜検討でも自信のあったレースだったが、高橋康が4角でふくらんで1着-3着となり万事休す。なんと17:05発走(!)の最終12R新潟皐月賞も、向山のペガサスストームがいっぱいになり、もはやこれまで。あいかわらず充実している新潟駅のお弁当に舌鼓を打ちつつ、長岡のみ停車のあさひ4号で東京へ一直線。実にあわただしい戦いが終わった。2日間の参戦レースは3場計17レース。回収率は59.3%であった。


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