コメ・環境・日本の針路~エドモン・ダンテスさんとの対論~(1997/10/9〜10/28)
エドモン・ダンテスThu Oct 9 11:54:53 JST 1997
はじめまして。フランスの話題が時々出ていましたが、フランスって農業国ではないんでしょうか。アメリカの市場開放要求に農民が抵抗している場面をテレビでよく見ます。ヨーロッパの田舎に比べて日本の農村は荒廃していますね。1999年末からコメの再交渉が始まりますが、そのとき日本はどのような対応をとるのでしょう。またタイ米が入ってくるのでしょうか。おいしくなかったなあ。
エドモン・ダンテスMon Oct 13 14:28:38 JST 1997
すみません、前回メールアドレスを間違えて入力していました。必須ではないということなので、今後は入力しないことにします。しんちゃんさんはコシヒカリがお好きなようですがコメの輸入自由化には反対なのでしょうか。東南アジアやアメリカやオーストラリアの安いコメがどんどん入ってくるとおいしいコシヒカリが安く手に入らなくなるような時代が来ると予想されますが、1999年には日本はどのように対応すべきだとお考えになっているのでしょうか。
しんちゃんMon Oct 13 14:59:27 JST 1997
エドモンさん、再訪ありがとうございます。ハンドル名の意味について、ぐんぐんさんに教わり、ようやく理解しました。さて、小生は、米の自由化は賛成です。たしか今の案では、関税化せず、最低輸入量を保証するような案になってますが、関税化の方が、すっきりしていいと思います。美味しいお米は、十分対抗できると思っています。余談ながら、日本ダービーも外国産馬に開放すべきという見解です。
エドモン・ダンテスWed Oct 15 15:20:14 JST 1997
厳窟王ことエドモン・ダンテスです。しんちゃんさんはコメの輸入自由化には賛成のようで、関税化しても日本のおいしいお米は輸入米に対抗できるとおっしゃっ
ていますが、その根拠をお伺いしたいです。日本の水田による稲作が、たかだか数年で何倍もの生産性を持つような方法に変わるとは思えず、輸入の安いコメに押さ
れてしまうのではないでしょうか。
農村の荒廃もますますひどいものになっていくと予想されますが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。
しんちゃんWed Oct 15 15:40:48 JST 1997
エドモンさん、どうもです。小生もこの分野は、それほど詳しいわけではないです、と前置きしたうえで・・・
①現在提案されている関税化は、当初700%です。当面は、これで価格差は、かなり縮まります。少しくらい高くても、美味しいコメを選びます。
②小生は、規制緩和支持者ですので、現在の食料管理政策は全廃が前提です。その場合、中山間部の小規模農家は、壊滅し、農村の荒廃は進むかもしれません。そんな場所でコメを作り続けても、とても対抗できないでしょう。一方、新潟、山形、秋田その他のコメどころの平野部には、大規模資本が投入され、効率的なコメつくりが始まるのではないでしょうか?これで、コストダウンが進み、関税を下げても対抗していけるのではないかと思っています。なお、農協、官僚、族議員の抵抗は、この際考えないことにします。この方たちの大部分が職を失うくらいでないと、改革はできないでしょうから・・・(エドモンさんが、該当されてたら、困りますが・・・)
なお、コメ輸入反対の議論の中で、「地方の田がなくなると、緑が失われる」という意見がありますが、これはおかしいと思います。私有地である田が、国民に与える外部効果は、公園、緑地とは全然レベルがちがうと思うからです。そんなに緑が大切なら、それは別途予算をつけて、保全していくべきものでしょう。
エドモン・ダンテスThu Oct 16 14:33:27 JST 1997
みなさん,コメの市場開放に賛成のようですね。しんちゃんさんのおっしゃる大規模資本を投入した効率的な米作りとはどういうものか,もう少し具体的におうかがいしたいです。また,外部効果のことをおっしゃられていますが,そもそも市場になじまないものをすべて外部として扱ってきた経済学自体見直されるべきではないのでしょうか。
しんちゃんThu Oct 16 16:56:31 JST 1997
エドモンさん、定期的にご来場ありがとうございます。大規模資本云々の件ですが、小生の意見は、規制緩和を前提としたうえで、市場の原理にゆだねれば、自然に、今のような1軒1軒の農家が、小さな田畑を所有して、リスクを負ってやっていくのではなく、限られた数の大規模経営だけが生き残っていくだろう、ということです。小作人というと、聞こえが悪いですが、農業だけがすべて自営である必要もないと思います。なまじ農協のような中間的な組織を作るからややこしくなるのではないかと。まぁ、そんなに専門的に研究している訳ではないので、あまり突っ込まれても苦しいのですが・・・
馬産でしたら、日高中の中小規模牧場が苦しむ中、すでに社台ファームがほぼ一人勝ち状態ですし、世界にも十分対抗していけます。別の次元で、心情的には、ラムタラに勝負をかける日高の心意気も応援していますが。
エドモン・ダンテスFri Oct 17 12:58:24 JST 1997
しんちゃんさんは市場開放しても、大規模経営農家ならつぶれないとお考えなのでしょうか。ジャポニカ米はそもそも集約型の水田耕作を前提としており、インディカ米に比べて一つの稲になるコメつぶの数が多いので直播きすると根が浅くて倒れてしまいます。つまり、苗床→田植えという非常に効率の悪い方法でないと日本のおいしいお米はできないのです(直播きでやってできないことはありませんが、味は落ちます)。そんな非効率な(でもおいしい)日本のコメが市場開放したら市場原理が働いて大規模経営なら残るとはあまりに楽観的すぎないでしょうか。国際競争したら確実に全滅するのではないでしょうか。
しんちゃんFri Oct 17 13:19:59 JST 1997
エドモンさん、どうもどうも。はじめにことわったように、米作についての知識は、あまりないのですが、大規模経営である程度効率をあげたとして、最終的に、消費者価格ベースで、どの程度の差になるのでしょうか? 仮に、おいしい(まずかったら論外ですが)アキタコマチが100円、カリフォルニア米が30円のところを、100%の関税を許してもらって、60円、タイ米が10円なら、共存できないでしょうか? もちろん、価格に敏感な外食産業を中心に、輸入米への移行も進むでしょうが、高くても美味しいお米をというニーズも十分あると思います。(ガストがタイ米で、すかいらーくガーデンが、カリフォルニア米で、すかいらーくグリルがコシヒカリとか)
エドモン・ダンテスMon Oct 20 14:48:10 JST 1997
米の価格についてしんちゃんさんから質問がありましたが、カリフォルニア米は市場価格で日本の約1/4です。(当然アメリカは自国の農業に対し膨大な補助金を支給して保護しています。圧力団体にかけてはアメリカの方が日本よりよほど強力です。)タイ米は更に安いですが、ぐんぐんさんが生糸の太さを例に出してご説明されていたように味が違いすぎるので競合しないかもしれません。ただ、加工品やお弁当には間違いなく浸透するでしょう。
関税率を一時的に高率にしたとしても、アメリカが高すぎると要求してくるのは目に見えています。そうなった時、今の国内産のコメはこの間の騒ぎのように価格が跳ね上がりコメ商人はいい思いをする一方で、消費者の不満がつのるということにはならないでしょうか。しんちゃんさんがおっしゃるように、高級な(?)レストランでしかおいしいお米が食べられないという状況を本当に消費者は望んでいるのでしょうか。
しんちゃんMon Oct 20 17:27:54 JST 1997
エドモンさん、どうもです。1日1往復の議論もだいぶ収束してきた感がありますね。カリフォルニア米の価格が1/4ということは、小生の仮定(30円)は、まぁまぁイイ線だったようですね。関税化の後の率の交渉は、政治課題ですから、この際、置いておくとして、消費者としては、高くて美味しいお米と、安くてあんまり美味しくないお米という選択肢が与えられることが、一番だと思います。私の意見は、だいたい出尽くしてしまったのですが、エドモンさんの望む姿は、どのようなものでしょうか?また、実現プロセスは、いかがでしょうか?(開放反対だとしても、その方法論がないとムシロ旗あげて戦うだけでは無理でしょうから)
エドモン・ダンテスTue Oct 21 14:30:59 JST 1997
しんちゃんさんに私の望む姿を尋ねられたので、簡潔にお答えします。第一に、シビル・ミニマム、ナショナル・ミニマムの考え方と同様に、これ以上農業の縮小ができないという限界としてのアグリ・ミニマムを設定する(具体的には穀物自給率で30%等)。同時に貿易黒字に象徴されるようなバランスの崩れた工業活動に対するインダス・マキシマムを設定し、国全体としてのナショナル・インタレストを明確にする。(いわゆる二正面作戦を展開する)
第二に、アグリ・ミニマムの枠の中で、内外価格差を縮小するためコメ生産コストの引き下げ努力をする。できれば需給ギャップを解消できるぐらいの価格水準に米価を収斂させていく。
第三に、不透明な流通過程を効率化・弾力化していく。
第四に、このような変革は経済効率の理論に寄るのではなく、農家の論理・世代交代速度に配慮したものにする。
農業の論理について少し注釈しますと、コメは一般の工業製品と異なって固定的な生産機関があるため、供給面での「弾力性」が小さいです。更に、食べ物であるためなしで済ませたり、安いから何倍も食べるというわけにもいかず、需要面での「弾力性」も小さいです。双方の弾力性が小さいことからわずかな量の増減によって価格の乱高下が発生しやすくなります。よって資本の論理にしたがった市場社会になじみにくく適合性が弱いといえます。さらに国家間問題も加わってきます。このような農業の特質性を無視して、アダム・スミス的な先進国の立場からする自由貿易論、リカードのような工業の立場からする国際分業論はあまりにも配慮に欠けるものであるとは言えないでしょうか。
方法論については、また別途ということでお許し下さい。しんちゃんさんは市場開放賛成ならば、それを推進する方法をお持ちだと思われますが、それをお聞かせ下されば大変参考になります。
しんちゃんTue Oct 21 14:58:41 JST 1997
エドモンさん、こんにちは。詳しい説明ありがとうございます。市場至上主義の小生として、気になるのは、第1のアグリミニマムの設定を認めた場合、第2、第3の努力(コスト引き下げ、流通改革)のインセティヴが働かないのではないかという点です。これまでの農政不信(必ずしも農業従事者だけの責任ではないですが)が根底にあります。あと、需要の弾力性が本当に小さいのか、という点も気になります。(ボーダーレス化も進んだ現在、他の食料での代替と、輸入という選択がとられるのではないかと思います。)
公共部門の経済を議論する場合、どうしても実現の方法論に行き着いてしまいます。ただ、市場開放論は、特に実現プログラムを用意しなくても、政府が決めれば、後は、勝手に市場が動き出します。管理経済の場合、細かなプログラムが必要になり、そのコストやリスクが大きくならないでしょうか?「管理経済」は語弊がありました。え~と、公共財ですかね。シビル・ミニマムとして、聖域化した瞬間に、その中での、コスト引き下げの努力を期待するのは、無理ではないか、という点を気にしています。(旧国鉄、郵政3事業しかり)橋本首相が腰くだけの今、日本の政府部門のリストラは、永遠に期待できそうもありません。となれば、国防、警察などはやむを得ないとして、極力民営化の方向を探っていかざるを得ません。アグリ・ミニマムの穀物自給率を30%に設定した場合、その分だけは、市場より高い価格で、国民が頭割りで、穀物を購入し、後は、市場から安く好きなものを買うという事になるわけですが、(もしくは、税金で、その分だけ、補助する。結果は同じ)果たして、受けいれられるのでしょうか?
エドモン・ダンテスWed Oct 22 14:26:46 JST 1997
今日は少しコメから離れて一般的なことを。(しんちゃんさんへの回答は後日必ずいたします。)しんちゃんさんは市場至上主義とおっしゃられていますが、それはG7諸国、IMF、世銀等、ワシントンを中心とする先進国、国際機関に共有されているワシントン・コンセンサスと呼ばれる経済政策に関する考え方と似ていると思います。それは、為替・金融市場をできるだけ自由化し、政府が財政を健全に運用し、通貨供給をうまく調整さえすれば経済はうまく機能し、成長は促進するというものです。
それに対して、つい最近のタイ・バーツ危機は今までのコンセンサスに警鐘を鳴らしているとは言えないでしょうか。「先進国病」ともいえるバブルの崩壊が発生し、アメリカのヘッジ・ファンドの投機の対象となったタイ・バーツに対して政府は約230億ドルを市場に投入しましたが結局支えきれなかったのです。それに対してアジア諸国は日本の約40億ドルを含めて約170億ドルの支援を表明したのでした。これは通貨危機が波及することに対する各国の危機感の現れだと思います。しんちゃんはこれは市場論理からはずれる行為だから放置しておくべきだったとおっしゃるのでしょか。
マハティールやスハルトがソロスを攻撃していますが、ソロスは市場のルールに従って利益を求めただけです。にもかかわらず、投機によって通貨危機を引き起こすことすらできるのです。
バブルや一国の通貨危機が発生した時に、ほとんど無力に等しい市場を、それでも手放しで礼讃されるのでしょうか。
しんちゃんWed Oct 22 23:40:20 JST 1997
入浴して、すっきりしたところで、エドモンさんとの話の続きです。日本の農業政策への疑問から、市場至上主義という言葉をあえて使ってきましたが、もちろん「市場の失敗」を否定するものでは、ありません。しかしながら、「市場の失敗」が確認されたとしても、どのような政府介入が最適の効果をあげるかというのは、大変難しい問題でしょう。「政府の失敗」の原因として①情報の不足②市場への支配力の不足③官僚に対する支配力の不足④政治過程による制約などがあります。これらの4つの問題とその影響どう考えるかで、スタンスが決ってくるのでしょう。そして、最終的には、「公平と効率のトレードオフ」の問題に行き着いてしまうのではないでしょうか?ここから先は、個人の価値観にも依存してしまうように思います。「公平と効率のトレードオフ」について、他の常連さんのために、少し説明しますと、例えば、高額所得者の税金を累進的に高くしたり、福祉を手厚くすることで、公平を実現しようとすると、結果的に、勤労意欲の減退等のリアクションがおきて、社会全体の利益(効率)を小さくする可能性があるというようことです。高速道路の料金徴収なども、使う人から取るべき、という意見がもっともともいえますが(公平)、そのために、料金所を作り、人件費が発生し、渋滞も招くことを考えたとき(効率が悪い)、どうせみんな少しは使うのだから、税金で作って、利用料はタダにしようという発想もでてくるわけです。
参考文献)マグロウヒル出版「公共経済学(上)」
J.E.スティグリッツ著
エドモン・ダンテスThu Oct 23 14:06:47 JST 1997
しんちゃんさん、公共経済学についてのご説明どうもありがとうございました。市場は時に暴走し痙攣状態に陥る危険性を持つので、(非常な困難を伴いますが)明確なルールづけが必要であること、不平等を拡大しないよう社会的厚生の観点に立った再配分が必要であることについては、(程度の違いこそあれ)共通の認識を持つものであることが確認できました。
しんちゃんさんはトレードオフという言葉を使われていますが、市場一本槍(資本主義万能)でも公平一本槍(共産主義万能)でもうまくいかない、様々な視野から、多角的なスポットライトをあてていくことが必要だと思います。極論同士でいがみあっていたらいつまでたっても発展的な対話は望めませんから。
ぐんぐんさんは現実的にアメリカやIMFから離れるのは不可能ではないかとおっしゃっていますが、そのこととワシントン・コンセンサスに盲目的に従うことは同義ではないと思います。最近のはやり言葉になっているグローバリゼーションに安易に追随するのではなく、その中でいかにローカル・アイデンティティを保つかということを考えるべきではないかということを言いたかったのです(もちろん、今のところその問いに対するはっきりした回答は見つかっていません)。
しんちゃんThu Oct 23 19:51:19 JST 1997
エドモンさん、こんにちは。トレードオフと言いましたが、もちろんオールオアナッシングではありません。市場の失敗が起こりうる分野について、政府介入の方法や影響を考えるのが、公共経済学でしょう。たまたま今回は、農業が取り上げられていますが、国防、警察、電力、航空、高速道路、通信、義務教育、住宅政策、その他様々あると思います。その際、正解は一つではないわけで、私とエドモンさんのように、介入程度についての価値観の差が個々人によって当然あります。そうした複数の人々のいる社会において、落とし所探っていくとなると、公共選択論になってきます。こうなると、政治学との境目はほとんどなくなりますね。
エドモン・ダンテスFri Oct 24 14:43:24 JST 1997
しんちゃんさんのアグリ・ミニマムに対しての批判にお答えします。まず、国防・警察ほどの公共性は持たないにせよ、農業はある程度の公共性をもつものであり効率化にも限界があるという点では(程度は違いますが)同じ認識だと思います。
ミニマムを設定したら効率化は無理ではないかとおっしゃっていますが、少なくとも、今の食糧管理制度のままでは無理で、当然食管の見直しと抱き合わせで行うことが前提になっています。(これだけでもかなりの効率化が実現できると思います)。また、補償金については政策として民意の反映が可能です。(族議員の問題は残りますが話が広がりすぎるので無視します)決して過剰な補償による国営農場をもっと作れと言っているわけではありません。
またミニマムという言葉を使ったように、日本人が最低これくらいは必要とされているであろう量が前提となっています。(有事の際の備蓄も考えるべきです。こうなってくると軍事と性格的に似てきますが。)
それでも、非効率は許せないとおっしゃるならば、それは国際的食料需給が逼迫していることに対してあまりにも現実感覚が欠如していると言わざるを得ません。
世界全体で見た場合、まず第一に食料輸出余力を持つ国が減少してきています。第二に水資源確保が難しくなって世界的な水不足が懸念されています。第三に発展途上国での人口増増加・農地の細分化等が進んできています。結果として、将来世界的な規模で食料、資源の分配問題が起こってくることが当然考えられます。そうなった時に、アメリカが救ってくれるとか輸入すれはいいじゃないかという意見はほとんど意味を持たなくなってくると思われます。
アメリカはそのような食糧不足の認識から、食糧問題を外交・政治用具として使おうとしています。国内では(予算比で)日本の倍近い補償をしつつECや日本に自由化を迫ってきています。(その意味でアメリカの方が狡猾ですが現実感覚が鋭いといえます)
参考までに各国の穀物自給率を見てみますと、カナダ、アメリカは150%を超えており、EC諸国ですら100%を上回っています。アフリカの平均が約80%でアジアの平均は100%近いです。ラテンアメリカも90%以上、中東諸国ですら80%です。日本の30%という低さは異常です。
このような国際的視野を欠いて、規制緩和の風潮に乗った安易な自由化は危険ではかなり危険なものであるとはいえないでしょうか。
需要の弾力性についての疑問もありましたが、しんちゃんさんのようにコメじゃないと嫌だという人多い場合、他の食べ物による代替は難しいのではないでしょうか。
しんちゃんFri Oct 24 19:14:34 JST 1997
エドモンさん、こんにちは。本日の貴殿の最初の発言にあるように、農業にある程度の公共性を認め、アグリミニマムを設定することは、同意できます。あとは、程度と方法論の問題でしょう。
おそらく、程度については、見解が異なっているのだと思います。ここからは、経済学を離れてきますが、国益というものを考えた時、それは軍事力であったり、経済力であったり、豊富な資源であったり、農業自給率だったりするわけでしょう。個人的には、今の世界の中で、「いざとなったら、どこからも食料を輸入できなくなる。そうなった時、飢え死にすると困るから、自給率を高めておかねば」という意見には、あまり賛成できません。
理由としては、
①食料を輸入できないほど、「いざ」という時には、戦争になるかもしれず、日本の防衛力が単独で、いかなる国の侵略も防ぐという想定で整備されていない以上、自給率だけ高めても意味がない。(安全保障の点で、アメリカと組んでいる以上、アメリカから一切の食料が輸入できなくなるという事態は、想定外のはずです)
②石油だって、輸入できなくなったら、えらいことです。むしろ、代替エネルギーを検討することの方が、重要だと思います。(これからの日本のローカルアイデンティティは、環境への取りくみでは、どうでしょうか>ぐんぐんさん)
最後に、極論になりますが、世界的な食料不足になった場合、困るのは、食料自給率の低い日本ではなく、経済力の低い国です。食料不足になった時の貴重な食料は、高いお金を払える国の国民のお腹にはいってしまいます。道義的に許せないかもしれませんが、そうなるはずです。(今もそれに近いことは起きています)日本に科せられた使命は、自分の国の食料自給率をあげることではないように思います。
最後に、少し話がずれますが、アメリカの「自分たちの正義を世界中のスタンダードとして押しつける姿勢」には、時に、疑問を感じるのも事実です。環境問題、農業問題、その他、EUとアメリカの対立が目立ちますが、ある意味では、日本がアイデンティティを示すチャンスともいえます。日米安保体制の下では、あまりえらそうなことは、言いずらいのでしょうが、京都会議でのCO2削減などは、がむばってもらいたいものです。小生も明日、ECOカーを予約しに行って、微力ながら協力したいと・・・
エドモン・ダンテスMon Oct 27 14:16:21 JST 1997
しんちゃんさんの自給率を高める必要性がないという反論に対してお答えします。まず①ですが、食料配分の問題は戦争とは無関係に起こります。理由は以前お話ししたとおりです。また、二国間の安全保障ほどあてにできないものはありません。昨日の見方は今日の敵という国際関係の不安定さは、歴史を紐解けばそこらじゅうにころがっています。条約なんていざとなったら紙切れにすぎなくなるのではないでしょうか。条約で危機に備えつつ、自国でも準備しておく方が健全だと思います。
また、単独での防衛力がないから食料の自給率「だけ」を高めても意味がないということですが、では、しんちゃんさんは憲法を改正して軍隊を持つことを明記し、防衛力を高めようとは思われないのですか。防衛力も自給率も両方高めるならいいとおっしゃっているのでしょうか。
そうではなくて、軍隊は持たないし食料は輸入する、なんでもかんでもアメリカにおんぶにだっこで、いざとなったらアメリカに助けてもらうというのでしょうか。もしそうならば、独立国家として恥ずかしいとは思われないのでしょうか。
②については食糧問題からはずれてしまいますが、しんちゃんさんは代替エネルギーについてはどのようなものをお考えでしょうか。エコカーは結局エネルギの総和では同じなので根本的な解決にはなっていないような気がしますが。
また食糧不足の時(発展途上国では危機状態です)、経済力が強い国がいい思いをするとおっしゃっていますが、その考え方はまさに「満蒙は日本の生命線」だと言って経済・軍事力を背景に隣の国に侵略していったのと同じ論理ではないでしょうか。
しんちゃんMon Oct 27 19:41:24 JST 1997
エドモンさん、こんばんわ。金曜日の小生の発言は、悪意で解釈されると大変な暴論と受けとられかねないものですが、議論を整理するためのたたき台をして、あえて呈示しました。そのあたりはご理解いただけたようで、安心しました。極論を用意して、踏み絵を踏んでいくことで、各々の立場がはっきりしてくると思います。小生は、食料自給率を高めるなら、軍事力やエネルギー自給率も高めないと整合性がとれないという点を指摘しました。ですから、エドモンさんご指摘のように、憲法を改正して、軍隊を持つというのも、一つの方向性ではありますが・・・
しかし、その方向性こそ、「いつか来た道」をたどることになるのではないかと個人的には思います。食料も自給できない、自分の国も単独では守れない(そうそう守れるものではないです)、石油の99.8%を輸入にたよっている。そういう基盤の脆い国として、何ができるかを考えたとき、単独で全てをまかなうのは、あきらめて、世界の中の日本としての道を探るしかない、と思っています。
じゃあ、何ができるのかというのを考えた時、環境問題はどうだろうか?と。後世の歴史家が、ふりかえった時、20世紀末から21世紀初頭に、エネルギーも軍事力も持たず、食料はほとんど輸入し、アメリカの真似ばかりしていた日本という国が繁栄した時代があって、地球温暖化を防ぐ努力をし、危機を救ったと、ただし、そうした環境重視の政策が、日本の経済力の衰退を早め、やがて日本の時代は去った、と。これで、十分だと思います。
別に、環境問題でなくてもいいですけど。核廃絶とか、地球規模でのエイズ撲滅とか、これらはもっと難しそうですから。
エドモン・ダンテスTue Oct 28 14:52:59 JST 1997
コメ問題から始まった議論も、とうとう環境問題にまで発展してしまいました。ご存じのことと思われますが、地球温暖化には2つの理由があります。ひとつは化石燃料を使用する工業活動による二酸化炭素放出量の増加であり、もうひとつはこの50年間に地球上の熱帯林の四割が減少したことによる森林の光合成活動の低下です。しんちゃんさんは前者についてエコカーなどのCO2排出をおさえることを提案されています。ただ、それだけでは片手落ちで後者についても特に日本は対応を迫られています。
年間日本の耕地面積の2倍を上回る熱帯林が伐採されており、世界で輸出される木材の半分は日本にやってきています。この事実を無視して木材伐採をやめて森林を守ろうと提案しても途上国の人たちは自分ばかりいい思いをして何を言うんだと思うでしょう。
環境問題に真剣に取り組もうとすると、今の大量生産・大量消費社会の考え方を根本的に変えていかなければなりません。そのためには、まず国内の不均衡是正から手をつけていくべきではないでしょうか。農業の見直しもその一つだと思います。その上で、人権や環境などの普遍的な価値に積極的にコミットして、平和で公正な世界秩序の形成に貢献して行くべきでしょう。
それは結局、日本のローカルなアイデンティティである日本国憲法を普遍的なものに高めていく作業であると思います。(これはぐんぐんさんへの回答にもなります)
~あとがき~
掲示板に突然あらわれた、エドモン・ダンテスさん。コメの市場開放問題をきっかけに議論は、深まりをみせ、環境問題や、日本のローカルアイデンティティにまで及びました。価値観の違いこそあれ、なかなかおもしろい議論ができたと思います。また、新しいテーマで、いつか話し合いたいものです。
最近のコメント