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11/25:ジャパンCに想う-競馬ファンのあのころの未来-

◆横浜・東京:はれ

 今週末は、ジャパンC。早いものでもう第25回である。昭和56年の第1回ジャパンCといえば、当時、小学生の小生は、本当に心をときめかせて待っていたものである。まずは、前哨戦の国際オープンにインドからオウンオピニオンが参戦。これもおおいにワクワクしたのだが、これは大敗。しかし、本番のジャパンCで、メアジードーツが、2分25秒3の日本レコードで突き抜けたときには、世界のレベルの高さを痛感したものである。
 昭和58年にキョウエイプロミスが2着で、世界がかすかに見えてきたところで、昭和59年。ミスターシービー、シンボリルドルフの3冠馬2頭で世界に挑む。これで日本が勝てなければ、もう当分勝てないという状況下で、日本馬はついに勝つのだけれど、勝ったのはカツラギエース。これもなんとも皮肉な結果であるが、翌年、シンボリルドルフが本命で堂々と快勝。世界がかなり近づいてくる。
 世界への熱い想いが一段落した代わりに、馬券的に楽しめたのは、ここからの数年。シンボリルドルフ級が不在の日本馬ではまだ少し足りないので、外国馬の取捨で馬券がとれるかどうかが決まる。競馬は、詳しいからといっても、馬券がとれるわけではないのだが、この頃のジャパンCだけは、マニアが、日頃の勉強の成果を享受できた気がする。ジュピターアイランド、ルグロリュー、ベタールースンアップなど、会心の馬券が多かった。
 90年から93年、ジョージモナーク、ハシルショウグンでの赤間師の4年連続シンガリという衝撃的な記録もまたよしだが、94年あたりから、日本馬が勝って当たり前のような感じになってくる。
 第1回からずっと府中に参戦を続けていたので、将来、何十年かたったら、
「おじさんは、第1回からジャパンCを毎年現場で見ているんだよ。」
 と格の違いを主張するつもりだったのだが、1996年の第16回ジャパンCの日は、なぜか、盛岡競馬場で北上川大賞典を観戦していた。このへんから、時代が悪くなってきたのか、小生が勝手に齢をとったのか。
 日本馬が強くなった今、もはやジャパンCに特別な想いを抱くことはできなくなってしまったけれど、競馬ファンには、一応まだ未来が残されている。日本産馬、日本調教馬による凱旋門賞、ブリーダーズC、ドバイWC制覇。その夢は、来年、ディープインパクトに託されることになるが、その前の有馬記念。中山2500mは、ディープインパクトが生涯唯一敗れるとしたら可能性がもっとも高い舞台と思う。大穴を狙いたいところである。こんなことを考えるのは、未来がつまらなくなったのではなくて、やっぱり、小生が勝手に齢をとっただけか。

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