◆八戸→十和田湖→八甲田:くもりのちはれ
7時30分起床。朝風呂。8時朝食ヴァイキング。ビジネスホテルに泊まることのほとんどない母親は、キーを差し込むと電気がつくとか、洗面台とお風呂の蛇口が共用になっているとか、ビジネスホテルの設備にいろいろと感心している。
幸雄さんの2000本安打のあっぱれ!を見てから、9時半に出発。雨はやんで、曇り空。午後には、天気が回復しそうだ。
十和田湖へ向けてヴィッツ号を走らせると、八戸市を出たあたりで、いきなり「キリストの墓」が登場して衝撃を受ける。平家の落ち武者伝説とかなら東北には、よくあるが、キリストの墓である。なんでも、処刑されたのは、身代わりになった弟のイスキリであり、本物のキリストは、日本へ流れ着いて、ここ新郷村で106歳まで生きたという。ディティールも細かい。それにしても、キリストが生き延びているとなると、聖書の物語が根底から覆されてしまうことになる。クリスチャンの人からみると、これは、ちょっとしゃれになっていないのではないかと心配である。たとえて言えば、南米あたりに旅行したら、仁徳天皇の墓があって、日本の墓は偽者で、天皇家の血筋もこちらで続いているのが本物だ、などと言われるようなものである。
そんな奇怪な村を抜け、十和田湖畔へ。中学の修学旅行以来だから、ずいぶん久しぶりだ。乙女の像を見てから、時間があるので、湖をぐるりと一回り。ちょうど反対側のプリンスホテルのロビーラウンジでケーキとお茶。例によって、どこのプリンスも同じようなレイアウトと眺めではあるが、我々の世代には、それなりの安心感があるのも事実である。幸い、ここのプリンスホテルは、存続するようだ。東北のリゾートは、どうしてだめなのか問題について親子で検討。幕末に幕府の味方をするようでは話にならないのでは仮説、東京から北の方には、お金持ちがいないからではないか仮説など議論しながらヴィッツ号を走らせる。
ぐるりとひとまわりして子ノ口へ着く頃には、すっかり晴れてきた。ここから、14キロ。奥入瀬渓流を下る。車道と散策路が適度に交差するので、ところどころで車を停めて散策することができる。JRの春もみじのポスターでもおなじみの光景。ちょうど新緑の美しい時期で、いい感じである。
本日の宿は、八甲田ホテル。何やら有名な高級リゾートホテルがあるらしいということで、予約したのだが、太い木で立てられたロッジ風の建物は、なかなか上品で、室内の装飾もバブルっぽくなくて、センスがある。上高地帝国ホテルとか、軽井沢の万平ホテルのようなイメージ。てっきり首都圏資本が昔から経営している由緒あるホテルかと思ったのだが、なんと千人風呂で有名な地元の酢ケ湯温泉の経営で、ホテルの開業はバブルピークの1991年だという。
せっかくなので、部屋は、少し高めのメゾネットタイプを予約。1階がバスルームで中2階がリビングで、2階がベッドルームという作り。
酢ケ湯とは別の源泉のようだが、大浴場があるのもうれしい。青森の温泉は、どこもなかなかよいが、ここもなかなか。山々の雪景色を眺めながらじんわりと温まる。
このホテルの目玉のひとつは、ディナーであるらしい。8000円のフランス料理のコースをいただく。シャンパンで乾杯してから、桜鱒のスモーク。さらに、トゲクリガニのスープ。濃厚でなかなか美味しい。
赤ワインに切り替えて、お魚料理をいただき、さらに、お口直しのシャンパンのシャーベット。青森牛ロースのステーキ。デザートのフルーツソースがたっぷりかかったアイスクリームまで、実に美味である。フランス料理があまり好きでない小生も、逆に、フランス料理にはうるさい母親もそれぞれ大満足なのだからすばらしい。料理を食べるだけでここへ来る価値は十分ありそうだ。パンフレットによれば、料理長は、パリで修行してからドイツ大使館、森英恵のレストランなどを歴任とのこと。いずれにしても、東北のリゾートがどうしてダメなのか問題については、仮説撤回である。東北だろうが四国だろうが、よいものを作ればお客さんは来るようだ。日曜日の夜にもかかわらず、個人客がけっこうたくさん利用しているから大したものである。しかも、当然、冬季は休業かと思うと、通年営業だという。十和田湖側の道路は閉鎖されるが、青森市側の道路は、ギリギリここまでは、一年中通れるとのこと。しかし、5月でも十分寒い。外は、なんとマイナス1度である。これでは、冬場は、大変なことになりそうであるが、それでも根強いファンがいるということなのだろう。
母が風林火山を見ている間に再度入浴。本来なら、すぐ近くにある千人風呂の酢ケ湯へ行くべきで、ホテルから送迎もしてくれるのだが、さすがにちょっと億劫なので、ホテル内の大浴場でゆっくりと温まる。日曜の晩ということで、サンデースポーツでも見て就寝するところであるが、ETV特集「東京を創った男 後藤新平 ~その思想と戦略~」を見ようということで意見が一致。昭和通りや同潤会アパートなど、関東大震災後の東京の都市計画の基盤を作った後藤新平の話。ちょっと専門的な内容だったが、なかなかおもしろかった。番組の最後の彼の言葉によると、「金を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのは上」だという。なるほどと思わせる。それを聞いて、母曰く、
「田中角栄は金を残したから、やっぱり”下”ね。」
「あ、でも、人も残したわね。弟子から総理大臣がいっぱいでたわ。」
「とすると、”上”かしら。」
という意外な結論になったところでお開き。
八甲田ホテル
最近のコメント