4/5:復興支援の真ん中の端っこ~大船渡から陸前高田へ~
◆横浜→花巻→大船渡→陸前高田→盛岡:はれ
「復興支援の端っこの端っこ」と題して、被害の軽かった青森のお客さんのところへ行ってから、2週間。被害の大きかった三陸方面のお客さんともようやく連絡がとれて、何とか参戦の段取りもついたので被災地へ行くことになった。小生のお手伝いなんていうのは、ライフラインの端っこのまた端っこというくらいであるけれど、一応、復旧を待っている人がいるのだ。仕事そのものは、弟子でも大丈夫なのだけれど、何があるかわからないので、リスク管理ということもあって、飴玉をしゃぶるくらいしか役に立たない小生が引率する。
臨時便の花巻便。まずは、これの確保が大変だ。ただし、キャンセルもけっこう出るので、粘り強くチャレンジするのがポイント。先週の段階でなんとか3人分の往復を確保。搭乗前に、念のためにお茶とまい泉とプリッツを購入しておく。羽田はバスでの出発。1時間足らずで花巻空港。ここはたぶんはじめて。エスカレーターが止まっているので、東北電力管内も節電かと思ったら、こちらは、故障だった。
地元の業者さんに迎えに来てもらって、車で出発。この方も、自宅は無事だけれど、会社に止めておいた自分のクルマは流されてしまったという。現地はどうなるかわからないので、途中、遠野のあたりのラーメン屋さんで腹ごしらえをすませ、国道107号で大船渡へ。山越えの道沿いは、特に目立った被害はない。自衛隊や遠方の自治体の救援車とよくすれ違う。交通規制などは特になし。
大船渡市。ここは、高低差がけっこうあって、お客さんの仮事務所のあるあたりなどは、見た目は、それほどひどいことにはなっていないし、電気も通っていた。一応、参戦したかいはあって、お仕事再開のお役にたつこともできた。
しかし、同じ大船渡市でも、国道45号線を南下すると、景色は一変する。国道が下りはじめるあたりに「ここから津波警戒地域」みたいな看板が出ているのだけれど、気がつくと、周囲はがれきの山。いつのまにか信号も消えている。リアス式の入り組んだ湾になっていて、港の方は壊滅的状況。
そして、陸前高田市。ここは、もうがれきすらもない。大船渡とちがって、高低差がないので、海岸からはるか奥の高台に向かって、すべてが流されてしまっている。建築前かと思うような感じで家が土台だけ残っていたり、5階建てのアパートは、4階までガラスがすべて流されていて、5階だけ無事だったりするから、津波の高さが10mを超えていたことが容易に推測できる。はるか遠くまで流されて、山の上の木に布団がひっかかっていたりするし、川を10キロ以上遡ったりもしたらしい。一方、国道の海側は、公園になっていて、野球場なんかもあったはずなのだけれど、スタンドもぐしゃぐしゃになっていて、地盤が下がったのか、国道ギリギリまで海になってしまっている。幹線道路は、交通規制はないようだが、ところどころで渋滞。開通しているとはいえ、状態のよくない場所もあって、パンクなどしようものなら、救援も期待できないので、慎重な運転。
お客様は、陸前高田では、数少ない高台の方にあるので、安心していたが、どうもおかしいと思い、さらに高台へ逃げたとのこと。こちらは、電気がまだで、自家発電機。燃料をけっこう食うし、燃料を補給しようにも遠方まで買いにいくと、同じくらいガソリン使ってしまうので悩ましいとのこと。水や食料は足りているようだったが、同行のカネさんが持参したタバコが好評。盗難などの被害はやはり少なくないようで、「道路が開通すると、泥棒がやってくる。」とのこと。プロの泥棒が多いようで、どこのナンバーに気をつけろとか、いろいろと情報が出回っている様子。
みなさん気丈にふるまっていたけれど、長期化は確実なので、疲労から体調を崩されないかどうかが心配。今後の再建のお手伝いについて検討して本日は引き上げる。再びクルマで2時間。もう花巻からの帰りの便はないので、盛岡市内に泊まる。市内のホテルはガラガラでこちらは簡単に確保できた。メトロポリタンの本館へ荷物を置いて、ぴょんぴょん舎さんに参戦して、ビアと焼肉と冷麺で疲れを癒す。盛岡市内は、節電の影響で暗いものの、それなりに人は出ていて、ぴょんぴょん舎さんも満席で少し待たされた。できることは限られているけれど、ひとつひとつやっていくしかないし、誰かの何かの役にたつかもしれないので、迷ったけれど、写真も含めて記録しておくことにしました。
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大船渡、陸前高田参戦されたのですか。
貴重な記録ありがとうございます。
被災地、お仕事がない限り立ち入るものではないと思うので、ライフラインに関わるお仕事のしんちゃんさんは非常に重要な任務を遂行されたのだなとつくづく思います。
現地の復興の一助を果たされ素晴らしいことだと思います。
投稿: buschan | 2011/04/10 02:43
正直、被災地の方は、仕事どころではないのかとも思っていたのですが、そんなこともなくて、少しずつやれることをやっていこうという感じでしたので、無理してでも訪問してよかったです。
投稿: しんちゃん | 2011/04/10 21:11