2012/12/18:追悼 米長永世棋聖
◆横浜・東京:天気不明
こう見えても、仕事中はけっこう集中していて、ネットとか見たりほとんどしないのだけれど、今日は、たまたま何かのサイトの文字が目に入ってきてしまった。「米長永世棋聖死去」。まったく予期していなかったので驚く。
米長氏といえば、小生が将棋を覚え始めた頃は、中原永世十段の全盛期で、そのライバルとして活躍したわけだけれど、80年代半ばになって4冠を獲得した頃がピーク。しかし、名人戦だけは、どうしても勝てず、もはやこれまでかと思われた93年に49歳11ヶ月で悲願の名人位獲得。その翌年に羽生さんがA級に上がってきて、あっさり名人になるわけで、本人が一番わかっていたであろう最後のチャンスをゲットしたのはさすが勝負師である。
その後、A級順位戦で4勝5敗でまさかの陥落で、フリークラス入り、60歳で引退。しかしながら、そこからの連盟会長としての活躍も大きな功績。将棋連盟会長といえば、大山名人のワンマン時代が延々と続いた後、二上会長は14年もやりながらほとんど何の仕事もせず、ようやく交代したものの、「突撃します」の中原会長では、やはり無理で、2005年から米長会長。まぁ、正直いって、女流棋士分裂問題とか、ゲームの権利で棋士と裁判になったりとかかなりうさんくさい点もあったのだけれど、なんだかんだいっても、公益認定をとって、自分たちだけで社団法人を運営しているのは、氏の才覚に負うところは大きいはずで、相撲協会と比べれば一目瞭然。逆にいえば、名人でありながら連盟の運営をひとりで背負っていた大山さんは、中原+米長を1人2役でやっていたようなものだからあらためて巨人の偉大さがわかるともいえる。
そんな晩年の氏の最高傑作といえるのが、コンピュータ将棋「ボナンザ」との対戦とその顛末を書いた「われ敗れたり」。遺憾なことに、コンピューター将棋のレベルは、トッププロにほぼ方を並べるところまで来ている。プロ棋士の権威を守りつつ、どうコンピュータとの対戦をイベントにしていくのか。そのひとつの結論が、会長自身が対戦することで、周到な準備を重ね、初手6二銀から守りを固めて善戦したのだけれど、最後は無念だけれど、その経緯を書いたこの本がまたすばらしかった。将棋を知らない人でもわかると思うので、ぜひおすすめしたい1冊。
強い棋士の後継者は、羽生世代を筆頭に若い世代にも着々と受け継がれていくだろうけれど、連盟運営という点では、氏の後継を探すのはなかなか大変だ。当面は、小生も応援している谷川九段しかいないだろうけれど、彼は人格者であって、政治的なことにはあまり向かなそう。羽生世代にも適任者は見当たらず、案外、渡辺竜王あたりが向いているような気がしないでもない。
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