2019/10/13:風と共に・・・
◆横浜→川崎→横浜→東京:はれ:7434歩
2時すぎに、義弟からの電話。この1ヶ月、枕元に携帯を置いて寝ていたけれど、鳴ったのは初めて。ということは・・・
台風は去ったようだけれど、この状況で、タクシーがつかまるか?と思ったら、2社目くらいで電話がつながって、綱島街道を急ぐ。幸い、通行止めなどはなくなんとか、義弟、めいっこ、母とともに病院には着いたけれど。。。
妹にけっして早期ではないがんがみつかってから6年半。よくがんばったよ。手術や抗がん剤治療で入院している期間以外は、大好きなテニスのコーチも再開して、カナダをはじめ旅行にも何度も行って、普通に楽しくすごせていたし、幼稚園生だっためいっこも小学6年生になった。お世話になった病院の先生はみなすばらしかったし、最後の緩和ケアの病院は本当に優しかった。
いろいろと環境にも恵まれたなとは思うけれど、やっぱり最期はただただ悲しくなる。でも隠居は、時間だけはあったから、最後の1ヶ月、大して役にはたたないけれど、たくさんの時間をいっしょにすごせたからね。よかったよ。性別も性格も趣味も全然ちがう兄妹だったけど、だからこそ仲がよかったよね。
最後に会った金曜日もまずまず元気だったのだけれど、前日までよりは少しだけ悪そうにみえた。それで、ほんの少しだけ嫌な予感がして、釜石行き中止を決めたんだけど、やっぱり虫の知らせだったのかな。帰る時、
「明日は台風だから無理だよね。」
って言いながらちょっと寂しそうだった姿を思い出すと涙がとまらなくなるけれど、でも、釜石行ってたら、今ころはホテルにカンヅメで、新幹線も動かなくてどうにもならなかったから、よかったよ。そういえば、父の時も、夏休みに北海道へ行く前日に見舞って、まだまだ大丈夫と思いつつ、ちょっと気になって、たまたま実家に泊まったら、その夜に亡くなったんだよね。
病院のスタッフがお化粧してくれて、きれいな顔になって、お迎えの車で妹の家に出発する頃には、台風一過のすばらしい青空で、病室からは富士山がきれいにみえた。記録的な台風が、妹も連れて行ってしまったね。
妹の家でみんなでいろいろと相談してから、いったんみなとみらいへ帰って、夜は実家へ泊まる。19時45分からラグビー。ルールもよくわかってない母もワールドカップが始まってからはけっこう熱くなっている。そういえば、今日の会場の横浜のスタジアム周辺は、調整池もかねていて、今朝、病院へ行くのに、鶴見川が無事に渡れたのは、そのおかげだったみたいと後で知ったよ。
因縁のスコットランド相手に最高の試合でジャパン勝利!決勝トーナメント進出!命日は記録的な災害の台風の日だけではなくて、ジャパンラグビーの歴史的な1日としても記憶に残ることになったよ!
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大瀧詠一の『君は天然色』は彼の妹のために捧げた歌とのこと。
最初は失恋の歌だと思っていました。
聴いていて全く解釈が変わりました。
私も妹がいますが、この歳でも妹の事がかわいいと思ってます。
妹さんは兄貴(しんちゃん)にエールを送ってくれています。
これから先もお互い悔いなく生きて行きましょう。
妹さんのご冥福をお祈り致します。
投稿: CHARMY | 2020/03/01 07:17
CHARMYさん、ありがとうございます。作詞の松本隆さんが、亡くなった妹を想って作った曲のようですね。大滝詠一さんは、松本さんが妹を看病できるよう発売を延期して待っていたとか。ウイルス騒ぎの先が見えず元気がでないこの頃ですが、妹の分も前向きに生きないといけないですね。あらためて聴いて、ちょっぴり泣いて、たくさん元気もらいましたので、がんばります。
投稿: しんちゃん | 2020/03/01 16:35